Ukraine 2 : チェルノブイリ原子力発電所に行ってみた《前編》

チェルノブイリ原子力発電所ツアー、申し込みや注意点など

ウクライナに行こうと決めた時、是非行きたいと思ったのが「チェルノブイリ原子力発電所」。
チェルノブイリ原子力発電所はキエフからツアーで行くことができる。

私がネットで探して出てきた会社は以下の2社。


そして今回私が利用したのが後者の「SoloEast Travel」。
理由は安かったから。w
日によって値段が違うのだけれど、安い日を選んで79USDだった。恐らくこれが最安だと思う。

ツアーはネットで申し込み可能で、10日前までには申し込むことが推奨されていたのだけれど・・・幸いなことに私は1週間前でOKだった。
申し込みの段階で50USDをデポジットとしてお支払い(カード決済)し、残りは当日の出発前に集合場所でお支払いする。
カード、現金(ドル、ユーロ、フリブニャ)どちらも対応していた。

 

以下、注意点など

チェルノブイリに入るにはパスポートが必要となります。
当日の携帯はもちろん、事前情報としてもパスポート番号が必要なので申し込みの際はお手元にパスポートのご用意を!
さらに長袖、長ズボン、脚が覆われる靴(つまりサンダル不可)が絶対なので、夏場に行かれる方はこの点も注意が必要です。
夏場は虫よけスプレーを持っていってください。

チェルノブイリ圏内から「何か」持ち出すことは厳禁。
また飲食や喫煙も禁止ですが、飲食や喫煙に関してはガイドさんが「ここではOK」と教えてくれるし基本的に車の中での飲食はOKなので、あまり神経質にならなくても大丈夫です。

「ガイガーカウンター」を借りたい場合は、ネットでツアーを申し込む際に一緒に申し込みが出来ます。お値段は10USD。
ガイドのお姉さんが持ってるのでそれを見られるけれど、「自分の」を借りたい方はツアー申込の際に一緒に申し込みをしてください。

また、それなりに移動時間も長いうえ、キエフへの戻り時間も遅いので飲み物とおやつを持って行った方がいいかもしれません。
キエフを出る時にコンビニ(ガソリンスタンド)に寄ってくれるので、そこで調達も可能でした。

 

当日の集合場所は独立広場のコザツキーホテルKozatskiy hotel前。
道路にミニバスが止まってるのですぐにわかると思います。

チェルノブイリへ向けて出発!!

独立広場に朝8時集合と言われた私は、朝6時過ぎに起きて準備をして出かけた。

キエフ駅から地下鉄に乗る。
事前情報では地下鉄は一律5UAHとのことだったけれど8UAHに値上がりしていた。と言っても日本円にして32円なんだけど・・・。
メトロは窓口でプラスチックのメダルを購入し、そのメダルを改札に入れればOK。

旧ソビエトの国に行ったことのある人ならわかると思うけれど、キエフの地下鉄も例に漏れず「高速エスカレーター」と「地下奥深い駅」の2点セット。w
ロシアやトビリシを思い出し、私はなんだか嬉しくなってしまった。
この高速エレベーターに慣れると日本のエレベーターが遅くて遅くてイライラするようになる・・・・。

 

Khreschatyk駅で降り、早朝のキエフを独立広場へ歩いた。
広場のAROMA KAVAで温かいカフェオレを買い、集合場所へ。
ちなみにこの「AROMA KAVA」、ウクライナ国内に沢山あり、その後も沢山お世話になった。
AROMA KAVAに限らずウクライナはカフェがいっぱいあり、気軽にコーヒーを飲めるのが嬉しい!!
おまけにオシャレなカフェも多いしパンやスイーツも沢山!!
ポイント高すぎ。

ツアーのミニバスはすぐに見つかった。この日はバス2台、計40人弱。週末なので参加者が多い!
お支払いをし、手首に付けるパス代わりのリストレットを頂き、出発を待ってバスに乗り込み・・・いざ出発!!

 

ガイドのVIKAさんは、ウクライナ美人で英語も完璧。冗談を交えながら終始楽しく盛り上げてくれる。
VIKAさんが予定を説明してくれ、その後はチェルノブイリ原子力発電所の事故や、現在のシェルターに関してのドキュメンタリーを鑑賞しながら向かった。

またこのバスの中で、一応の誓約書にサインをする。

チェルノブイリ原子力発電所って・・・?

チェルノブイリ(chernobyl)原子力発電所、この名前を聞いたことが無い人はいないんじゃないだろうか。
ソビエトのイメージが強いチェルノブイリだけれど、実際にはソビエト連邦だったウクライナにある。

チェルノブイリ原子力発電所で事故が起こったのは1986年4月26日、午前1時26分のこと。
当時稼働中だった4つの原子炉のうち4号炉がメルトダウンののち爆発し、広島の原子爆弾の約400倍の放射性物質がばらまかれた。

事故当時ソ連はこの事故を公表せず、周辺住民にも知らせず・・・何も知らない人達は日常の生活を送り、被爆した。
4月下旬の春の日、子供たちはいつものように外で遊び、放射能を浴びた牛から産生された牛乳を飲んでいた・・・。

 

この放射性物質は近隣だけでなくヨーロッパ中、そして日本でも観測された。

チェルノブイリ原子力発電所で事故が起こったことを最初に指摘したのはスウェーデンの原子力発電所だった。
スウェーデンの原子力発電所で放射性物質が観測され、また隣国からの報告を受け、自国で事故が起こったか核戦争が起こったかと焦りながら風向きを計算して調べ・・・どうやらソ連で事故が起こってるらしいと突き止めたスウェーデンがソ連に指摘。
ソ連は事故を認め、世界中に知られることとなる。

原発から半径30km圏内に住む人は避難し、移動させられ、街はゴーストタウンと化し、また原発は「石棺」というコンクリートで覆われた。
現在はこのコンクリートが老朽化したためさらに「シェルター」で覆われている。

 

私が今回一番びっくりしたのは、1、2、3号炉はその後も稼働を続けていたということ。
ウクライナ国内はエネルギー不足だったし、またウクライナには新たに発電所を作る費用も無かったから。
2号炉は1991年に火災が起こり切り離され、そして1号炉は96年、3号炉は2000年に運転を終了。
つまり4号炉で事故が起こってから14年も稼働していた。

チェルノブイリ原発に関してのWikipediaはコチラから
長文だけれど、是非一度読んでみてください。

チェルノブイリの制限区域に入る

途中、一度コンビニ(ガソリンスタンド)に寄りながらバスはひたすら北上。約2時間でチェルノブイリ(ウクライナ語:チョルノーブィリ)の30km圏内へ入る検問所に到着した。

この検問所では、エリアに入る全ての人のチェックが行われる。
事前にパスポート番号を提出し当日パスポートを携帯するのはこの為。
また検問所には「インフォメーションセンター」があり、スナックやドリンク、チェルノブイリグッズを購入可能(クレジットカード使用可)。
ちなみに検問所の建物は写真撮影禁止なので注意。

 

再度バスに乗り、チェルノブイリの街へ進む・・・

チェルノブイリの街の入り口にはモニュメント。ソビエトらしい!

ソビエトのこういうもの、嫌いじゃない、というかむしろ大好き。w

 

チェルノブイリの街の中には
今では珍しくなりつつある「レーニン像」がそのまま残っている。

 

近くにはチェルノブイリ原子力発電所事故のモニュメントと博物館。

 

まぁ博物館は見ごたえゼロだったけど・・・。

 

そして消防署の前にある「消防士たちの像」へ。

チェルノブイリで事故が起こった時、もちろん一番最初に放射能を浴びたのはそこで働いていた作業員だけれど、その次に放射能を浴びたのが当日働いていた消防士だった。
「事故が起こった」「火災が発生している」との一報を受けた消防士は緊急出動をし、火事が広がるのを防いだわけだけれど・・・
煙にどれだけ放射のが含まれるか、放射能がどれだけ危険かを知らされていなかった消防士たちはいつもの消火用の服で作業にあたり(こんな事故で防護服を着ていたって意味がないだろうけれど)、被爆。そして亡くなった。

 

時刻はお昼。
重たい気持ちになりながら、ランチへ。

パンとスープ、鶏肉か豚肉のグリル、サラダ。ボリューム満点のメニュー。

 

チェルノブイリ作業員用の食堂で食事、というツアーもあるようだけれど、土日だったせいかツアー会社に寄るのか、この日のランチはチェルノブイリの街の中にあるカフェが会場だった。
このカフェはホテルも兼ねてるようだったので、1泊のツアーに参加した場合はここに宿泊なのかな?

 

当たり前だけれど・・・
カフェの周りは廃墟。

 

こんな感じで午前中は終了。
天気と同じようにどんよりとした気持ちを抱えたまま、午後は原子力発電所やゴーストタウンへ向かう。

 

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