Rwanda 2 : ホントにアフリカだよね?いい意味で予想が裏切られまくり
- 2018.09.13
- Rwanda
こんにちは。
最近髪がパサパサ過ぎて、絡まりまくりです。
ただでさえ35歳、髪のツヤが無くなり髪がパサつきがちなお年頃ですが、バックパッカーをしてると・・・半端ないです。
理由は色々あるのですが
- ドライヤーを使う機会が少ない(週1使えばマシな方。w)
- シャンプーのみ、トリートメントなし(たまーにトリートメント)
- 水が硬水
- 空気の乾燥
こんなとこでしょうか。
何処かでハサミを買って自分で切ります・・・・。
ゴミが落ちてない道、ハエのいないアフリカ
キガリ(Kigali)
ゆっくり起きて準備をして、改めて宿のキレイさとオシャレな雰囲気に圧倒された。w
閑静な高級住宅街にある一軒家、インテリアもオシャレで共有スペースがゆったりしていて居心地が良い宿。
坂に立ってるので家の造りが面白く、そこもまた素敵!
2階の共有スペースのテラス席からの眺めも素晴らしく、千の丘が連なる様子が見えた。
深夜着で疲れていたのでゆっくり起きて・・・
外に出てビックリ。
ゴミ一つ落ちてない・・・・
静かすぎる・・・・
閑静な住宅街でエリアがエリアとは言え「え???ここホントにアフリカだよね?」と確かめたくなった。ゴミがないからハエも湧かないし、ニオイもない。
そして何もせず道端にたむろしている人も少ないし、露店もなく、明らかにこれまでの国とは違う。
Googleマップに載っていた宿の近くのスムージー屋さんへ行き、スムージーを飲んだ。美味しーー!!スムージー専門店なんて、これまでなかったよ。
Twistiblendz
おまけにフリーWiFiもサクサク繋がるし、店先の席もオシャレだし、そういえば「喧噪」とも無縁・・・ただただびっくりするばかりだった。
しばらくのんびりしてから何処へ行こうか考え、まず「虐殺記念館」へ行くことにした。
さて、どうやって行こうか。
キガリの快適すぎるバイタク
ルワンダは「千の丘の国」。その名の通りキガリも丘が沢山連なった町で、地図を見ただけでは何処が丘なのか何処が坂道なのか全くわからない。w
記念館へは明らかに歩ける距離ではなく・・・
ザンジバルで会った日本人の男の子が「ルワンダはバイタクがめっちゃ便利ですよ。ボラないし!」と言っていたので、意を決してバイタクを止めた。
(バイタクはあちこちで散々乗ってきてるけれど、マダガスカルでのバイク自爆事故以来、バイクはトラウマになってる)
キガリのバイタクは、その辺のオヤジや兄ちゃんがなんとなくやってるわけではなく、登録制の様子。バイタクのドライバーさんはみんな番号や名前が入った赤いビブスを着ており、また乗客の分のヘルメットも持参している。
おまけにキガリの道はどこもしっかり舗装されたおり、「あぁ、これなら大丈夫そうだな」と思えた。
行き先を告げて後ろに跨り、バイクが走り始める。
スピードも出さないし安全運転。「あれ??あんなにバイク怖いと思ってたのに・・・全然怖くない!!むしろ楽しい!!」
丘を下り川を渡り、また坂を上り記念館に到着。
「いくら?」と聞くと「1000Rwf」との答えが返ってきたのでお支払いした。
ルワンダ虐殺と虐殺記念館
警備のスタッフに挨拶して中へ入った。
なんだか気が重くなっちゃうけど・・・この為に来たんだから。
キガリ虐殺記念館
ルワンダ虐殺。子供の頃、テレビのニュースで見たのをなんとなく覚えてる。
ルワンダ虐殺とは、1994年にルワンダで発生したジェノサイドである。
1994年4月6日に発生した、ルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領の暗殺からルワンダ愛国戦線 (RPF) が同国を制圧するまでの約100日間に、フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派によって、多数のツチとフツ穏健派が殺害された。
正確な犠牲者数は明らかとなっていないが、およそ50万人から100万人の間、すなわちルワンダ全国民の10%から20%の間と推測されている。
是非Wikipediaのリンク先を読んで頂きたいのだけれど、虐殺に至るまでには色々な背景が絡まりあっている。
ドイツ、その後のベルギーによる植民地支配や、コーヒーの値崩れなどによる経済状態の悪化や人口増による食料不足・・・そしてルワンダ紛争があり、ルワンダ虐殺に至っている。
さて。ルワンダ虐殺の説明はWikipediaを読んで頂くとして。
心ばかりの寄付をした後(記念館は寄付で成り立ってるので、少額でも寄付をしましょう!)、レセプションの隣の部屋でVTRを見たのだけれど・・・
泣いちゃった。
親も兄弟も殺され、自分ひとり生き残った人のインタビューや子供を殺された母親のインタビュー、それでも人を恨むことはせず前を向いて生きて行くというVTRだったのだけれど・・・
悲しくて悲しくて。
でも誰も責められないな・・・と思って。
胸がいっぱいになって涙が出てしまった。
展示を順に見て行ったのだけれど、これまた苦しくなる内容だった。
子供の写真がいっぱい並んでる部屋があり、その子の「名前、好きな遊び、好きな食べ物」など、思わず可愛いなと微笑んでしまう内容と一緒に「死因」が書いてあり・・・
「マチェテで殴り殺された」や「壁にたたきつけられた」「頭を銃で撃ち抜かれた」
また泣いてしまった。
軍や軍人が人を殺したのではなく、普通の人が普通の人を殺したわけで。(正確には民兵の組織化が行われ、武器が供給されるなどかなり周到な準備がされていたらしいけれど)それはもちろん友達や知人、ご近所の人、職場の人などなど、自分と関わりがあった人間も多いわけで・・・。
だから余計に気分がモヤモヤするのだけれど、それでも私たちは加害者も被害者も、どちらも責めることは出来ない。
記念館を見て、また自分でルワンダ虐殺を調べて本を読んで、色々調べ考えるほどに「教育と教養」「周りに流されない」「マスコミやネットを鵜呑みにしない」「自分で考える」「自分の心に従う」ことの大切さを痛感するばかり。
そして私含め私たち日本人もこれを他人事だと思わずに、自分に言い聞かせる必要があるんじゃないかなと。
日本人は真面目な人が多いからこそ余計に、何か大きなことあった時に突っ走りやすい。
また昨今の状況を見ていて・・・とかく周りに流されやすく、また同調圧力が強いように思えるから。
だから「自分達にはそういう傾向がある」と自覚して頭の片隅に入れておくことが必要なんじゃないかと思う。
自覚しておけば、一瞬でも立ち止まれるんじゃないかな。
教育を受け、自らも学び続け、教養を身に着け、何かあった時も多角的に物事を調べ、自分の頭で考えることが大事なのだけれど・・・
私もそれが出来てるかなぁ。
いつもそうありたいと願ってるし、だから本を読みニュースを見てあれこれ考えて生きてるんだけど。w
一生の課題です。
ホテル ミル・コリンズ(Hotel des Mille collines)
記念館のあとはまたバイタクに乗って「ホテル ルワンダ」の舞台となった「ホテル ミル・コリンズ」へ。
高級ホテルなのでホテルに入るのにボディチェック&荷物チェックがあり、それを通ると素敵なロビー。なんだか・・・場違いな気がしないでもないけど。w
映画にも出てくるプールの周りにはこれまた素敵なお庭とカフェがあり、そこでカフェオレを飲んでタバコを吸ってゆったり。フリーWiFiを使いながらゆっくり・・・
自分がアフリカにいるということを忘れてしまう。w
あまりに居心地がよくてついつい長居をしてしまった。接客も素晴らしい!!
手が行き届いた庭で可愛いトカゲが歩いてる姿も見られた。
ホテル ミルコリンズを出て外を歩き始めると、雨が降りそうな気配がした。
早歩きでショッピングセンターに向かうもポツポツ降り始め、一気に大雨。最初は木陰で雨宿りをしていたのだけれど「これはダメだ」と思い、走ってショッピングセンターへ逃げ込んだ。
棚がガラガラのスーパーで買い物を終えても外は嵐のような雨が降っていたので仕方なくまたもカフェに入り、タンザニア以来すっかりお気に入りになっている「Krest」を飲みまたもWiFiを使って雨が上がるのを待った。
キガリは何処もWiFiが使えるのが嬉しい。
雨が上がり、外に出ると道が封鎖され消防車がいて大騒ぎ。
え???何が起こったの???
皆の視線の先を見ると・・・木が倒れ道を完全封鎖!!
すんごい雨だったもんね。
その後バイタクに乗って宿に戻る途中、他の道でも倒木やバイクの横転事故の形跡があった・・・たまたまなのか、いつものことなのか。
それにしても居心地が良すぎるキガリ。
ほんとはもっと居たいーーー!!!
けれど泣く泣く翌日の夕方便で出発。
ま、見どころ自体が多いわけではないので長くいてもダラダラするだけだけどね。w
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