Namibia 7 : ナミビア・ロードトリップ(4)スワコップからセスリムへ。DUNE45の夕暮れと・・・

本日は10/22。
アイスランドレンタカー周遊も終わり、カナダへ行って・・・ゴリラとキューバへ。
あ、ゴリラは愛称です。
いじめてるわけではなく、むしろほとばしる熱きパトスと溢れる愛ゆえの愛称なので誤解の無きよう。

アフリカで一番美味しいアップルパイ

スワコップの街より少し北にあるスカイダイビングのベースキャンプを出て、C34とB2を南下しウォルビスベイへ。
前日と全く同じ道だけれど、それでもやっぱり運転していて景色の変化が楽しい。

 

ウォルビスの街を左折、C14へ入りDUNE7を通り過ぎ、少ししたところで明らかに道が悪くなった。
未舗装は未舗装でも、石の大きさがままあり、ガタガタ揺れるし轍を追わないとスタックするしハンドルを取られる。
さらにアップダウンもあり見通しも悪い。

だけど・・・
景色は面白いくらいにコロコロ変わり、絶景の連続だった。
砂漠があり、峠があり、オアシスの様な緑があり、切り立った崖があり、どこまでも続く大地があり・・・
次がどんな景色になるのか全く想像がつかない。

隣でヒロトは寝てるし1人だし運転してるし写真撮れないけど。w
でもすべての記憶と経験は、頭のメモリーに残るから(と自分に言い聞かせて納得してみる)。

 

C14は東から南へとカーブし、16時半、Solitaireに到着。
灼熱のSolitaire、この小さな町で「アフリカで一番美味しいアップルパイ」が食べられるそうで・・・
小さすぎる街なので、目当ての店「Mc Gregor’s Bakery」はすぐにわかった。というかお店はそこしかなかった。w

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たっぷりのリンゴとサクサクのクランブルのアップルパイは確かに美味しい。
他でアップルパイを食べていないので「アフリカで一番」かはわからないけれど、美味しいアップルパイであったことは確か。

けど・・・日本人の私にとっては甘すぎるし、重たいので最後は辛くなってくる。w
ボリュームがありすぎる。
このアップルパイを遅いお昼ご飯替わりにして、私たちはセスリムへ向かった。

ついにセスリム到着。キャンプサイトとゲートに関して

悪路をひたすら南下し、セスリムを目指した。
ハンドルを取られて滑ることもままあるし、また対向車が来ると砂が巻き上げられて視界が遮られるし小石が飛んでくる。
ナミビアのレンタカーで事故が多いというのに納得。
視界が遮られた時にハンドルを取られてスリップし、そこに対向車が来たら・・・・アウトだよね。

 

ヒロトの頭が痛いという話から・・・
「アドレナリン出過ぎで頭痛いんすかね・・・」
「爆笑!! でも間違ってはないかもね。w」
「前回のバンジーの後も、You tubeで格闘技見た後も、さっき車が滑った後も頭痛かったんすよ」
「うーーん・・・・アドレナリン説か・・・それか緊張じゃない?あとは興奮とか疲れとか。」

そんな話をしながらセスリムに着いたのは18時過ぎだった。

 

キャンプサイトに入るゲートでパーミッションの確認をされつつ
「どこ行くの?キャンプサイト?」と聞かれたので
「DUNE45」と答えると
「今からじゃ無理だよ。このゲートは18:45に閉まるから。」
「えっ????じゃあ明日は何時にここ開くの?」
「7:00」
「5時じゃないの???」
「それは中のゲートだよ。」

そういうことか・・・・・。
だからみんな中の「セスリムキャンプサイト」に泊まるんだ。外にも宿泊施設はいっぱいあるけど、中のキャンプサイトに泊まらなかったら朝日も夕陽も見られない。
「ちょっと中見たいから」と中へ入れてもらい、キャンプサイトのレセプションへ行った。

「予約は無いんだけど泊まれない???」と聞くと
「残念ながらキャンプサイトはフルです」
(「そうだよね・・・知ってる。」)
「でもあっちなら空いてるから、それでも良ければ。シャワーもトイレもあそこにあるよ。」
「それでいいです!泊まります!」
パーミッションを確認し、キャンプサイトのお支払い。お値段は220ND/人。
何にもない砂漠の大地なのに・・・高いよ。

 

キャンプサイトのゲートをくぐり右手が正規のキャンプサイト。設備が整ってるかと言われれば多少疑問ではあるけれど、一応しっかり区分けされてる。レストランやショップもあり。
そして左手が私たちが泊まった簡易的なキャンプサイト。木に番号が付いており、一応管理はしてるし、その各木の下に水道と電源、火をおこすための場所、近くにシャワーとトイレもある。
「じゃあ○番の木ね」
と言われたので、明るいうちに番号を確認してからDUNE45に向かった。

キャンプサイトのゲート
Open:7:00
Close:18:45
キャンプサイト内のゲート
Open:5:45
Close:19:45
季節によって変化する可能性もあるので、念のためご自身でお調べください。

DUNE45での夕暮れと、まさかの・・・

時間は既に18時半。サンセットに間に合うか微妙なところ。
外はあれだけの悪路だったのに、ゲートをくぐった後は綺麗な舗装路だから面白い。
そしてその道をすっ飛ばし、DUNE45へと向かった。

砂丘を登り、ギリギリ、もうほんとギリギリ夕陽を見て・・・色の変化を楽しむ。
砂が黄色、オレンジ、赤、と変化していく様は神秘的・・・

そしてアフリカの夕日はやっぱり美しいと思った。
日本で見るより大きくオレンジに見えるのはなんでだろう。
こんなに感動できるのはなんでだろう。

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19時、当たりは暗くなり始め、なんだかしんみりした気分のまま「ゲートも閉まっちゃうし、そろそろ帰ろうか」と車へ向かって歩いた。

ふと、左後輪を見るとタイヤが緩んでる気がする。
あれ????
近寄ってタイヤを見て押してみる・・・。

げぇぇぇぇ!!!!!!!
パンクしてる!!!!!!

「タイヤがパンクしてる!!!!」
「マジすか???」

あーーーー、どうしよう。
いつだろう?全然気が付かなかった・・・・
とりあえずキャンプサイトまで帰りたいけど、このままじゃマズいよね・・・・

砂漠で砂だらけになりながらタイヤ交換

「タイヤ、交換しようか」
とヒロトに言い、自分を落ち着かせる為にとりあえず一服。ヒロトも同じく一服。
自分でタイヤ交換したことなんてないよ・・・

タバコを銜えながらトランクを開けてジャッキとレンチを出し、車の下にかませてジャッキアップ。
そしてタイヤを緩めて外し、スペアタイヤを外そうとしたところ、どうしてもボルトが1個だけ外れない。

「どうしよう・・・これ、どうやって外すんだろう」
「これ・・・どうなってるんですかね」

そう思ったところに遠くから一台車が走ってくるのが見えた。
「助け、呼ぼうか。」
「そうしますか。」

ヒロトは走り、私は車のトランクを漁る。
冷静にトランクを漁ると、1個ジョイントの金具を見つけた。これで外れるはず!!

外そうと思ったら、ヒロトがレンチ持ってっちゃっててどうにもならず。w
一方ヒロトは助けを呼べたようで、通りかかった車は駐車場へ入ってきてくれた。
出てきたのはファンキーなヨーロッパのカップル。

「迷惑かけてごめんね。」と恐縮すると
「全然大丈夫だよ」と笑ってくれ、戻ってきたヒロトのレンチでスペアを外して・・・
「やり方知ってるんじゃん。それにもうここまで出来てる。」
その男性はそう言いながら手際良くタイヤ交換をしてくれた。

握手をして二人で丁重にお礼を言い見送り、私たちも部品と荷物を積み込んでからゲートへと向かった。

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ゲートへ着くと、さっき助けてくれた男性とゲートの職員が何やら話している。
降りていくと「なんでゲートの閉門時間に間に合わなかったのか」問われているよう。

「遅くなってごめんなさい。私たちの車のタイヤがパンクしちゃって彼らは私たちを助けてくれたの。それで遅くなっちゃったんだ。」
そう言うとスタッフの男性は
「タイヤとパーミッションを確認してもいい?」
「もちろん」
「タイヤの写真撮ってもいい?」
「もちろん」
トランクを開け、パンクしたタイヤを見せ、パーミッションを見せ・・・・納得したようで無事にゲートを開けてくれた。

 

車の中でヒロトが一言。
「ゲートのクローズって19:45っすよね??あのカップル、俺らを助けなかったとしても時間に間に合ってないっす。逆に俺らに感謝して欲しいですわ。」

アンタ・・・・www
確かにそうかもしれないけどさ・・・・w

ビールを1本買って、木の下に車を停めた。
外はものすごい風が吹いていて、砂は舞い上がるしこれでどうやってテントを張ろうかという状態だったので、せめても風上に車が来るように調節したつもり。あまり意味なかったけど。w

なんとか私のテントを張ってピンを打ち込み、荷物を入れて飛ばないように設置完了。
ヒロトのテントはピンもないし、車で寝るとのことで、この日はシャワーも浴びず、まともな夕飯も食べずに歯磨きだけして一日が終わった。

 

暴風はすさまじく、とても寝られる状態ではなかった。
そんなテントの中で1人考えた。

 

タイヤ交換・・・・
こうして私はまた一つ出来ることが増え、また少したくましくなった。

でも。考えてみればタイヤ交換の仕方を知ってたのは、父のお蔭だ。
私が小学生の頃、スキーに行く為に家の庭でノーマルのタイヤからスタッドレスに履き替えさせてた父。
それを見て、遊び半分で手伝ってた私。
その頃の記憶はしっかり残り、「どうしよう」と思いながらも冷静に対処できる。

アフリカにいてもそれなりに美味しい料理が作れるのは母のお蔭だし・・・・

 

私が海外にいて何か起こってもいつも何とかなるのは、何とか出来るのは、そう育ててくれた両親のお蔭なんだと思ったら、なんだか気持ちがホッコリしたし涙が出そうになった。

一方で、両親が娘をたくましく育て過ぎたから、私がこうして1人で放浪しちゃうのかもしれないけれど。笑

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