Moldova 5 : モルドバで思うこと

モルドバの人は優しい、けれど・・・

モルドバはウクライナには敵わないけれどそれでも食が豊かで、つまり土地も豊かだった。
そしてこの国には「ワイン」という武器もある。

ウクライナ以上に貧しいし、街を歩いていてもそれがわかる。
けれど純朴な街は、嫌な感じはせず居心地が良かった。

モルドバで思ったことは概ねウクライナで考えたことと同じようなこと。
(ウクライナで考えたことは以下からどうぞ。)

 

けれど一つ、違うことがある。
それはモルドバの人は、人に関心がないのかもしれないということ。
誤解がないように先に言っておくと、モルドバ人は優しいよ。
何か聞けば親切に教えてくれる人は多いし、この国で嫌な思いもしなかった。

別に私は「おもてなし」をして欲しいとは思ってないし、私に対して無関心でいてくれて全く構わない。
むしろそれはラクで嬉しかったりもする。苦笑
けれど一方で、無関心って・・・つまらなくない?伸びしろが少ないんじゃない?って心配になってしまう。

「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」だなんて言ったりもする。
人に対して、物事に対して関心が無かったら何も生まれないような気がしてしまうのだけれど・・・・。

社会主義というシステムの中で生き、また長い間貧しく暮らしてきた彼らはそうならざるを得なかったのかもしれない。
それが身を守る術だったのかもしれない。
違う世界で生きてる私が批判することなんてできないのだけれど、それでももっと興味や関心っていう好奇心を持って生きていたら、もっと社会が明るくなって何かしらの産業も生まれるんじゃないか・・・なんて思ってしまった。

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モルドバには「何もない」とは言うけれど。

モルドバには見どころがない。
色々な人が書いているし、私自身そう思う。
だからモルドバをスルーする旅人も多い。
その気持ちはわからなくはない。

けれど、「何もない」から行く価値がない、魅力が無いかと言えば、それは違うと思う。

宿のオーナーと話してた時、私が
「Nothing special, but sometime nothing special is special」
と言うとオーナーが笑って頷いてたのだけれど。

モルドバの良さはこの、nothing special is specialなんだと思う。

 

都会なんて世界中どこへ行ったって大差なくて、それだけ見たって面白くないと私は思う。
綺麗な街並みや建物だけ見たって面白くないし、飽きる。
私はそれよりもっとコアな部分を見たいし、日常を見たい。インスタのための写真を撮ってる旅人には会いたくない。

また都会で暮らし、モノもヒトも音も情報も溢れている場所に身を置いている私には、モルドバの良く言えば落ち着いてこじんまりした空気は、なんだか貴重に思えたし、心が落ち着く気がした。
なんとなく歩いて、なんとなく時間を過ごせる場所って貴重だと思った。

 

何もないことは、時として貴重だ。少なくとも私にとっては。

Nothing special, but but sometime nothing special is special.
Nothing special is special for me.

 

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