Kenya 5 : ナイロビ最終日、ケニアで考える。

過去日で投稿を続けておりますが・・・・
リアルタイムの本日は9/23、ザンビアのリビングストンにおります・・・。
更新が全然追いつけません。w

やることのない日。ランチとカフェ

ウォッカの飲み過ぎで夜中目が覚めると頭はガンガン、吐き気もした。
ヤバい!と思い水を飲んで寝て、目を覚ます度に水を飲み、朝熱いシャワーを浴びたら大分スッキリ。

洗濯をしてからパッキングして、荷物をストレージに置いて、共有スペースでダラダラ。
ブログを更新したり、調べものをしたり・・・

 

飛行機は翌朝7時だけど、夜遅く宿を出て空港泊をするつもりだったので時間は夜までたっぷりある。
ナイロビはプライオリティ・パスで入れるラウンジもあるので、夜食も朝食も食べられるから、空港滞在は快適なはず!

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お昼過ぎてから外へ。
ナイロビには、どうしても行ってみたいレストランがあった。それは・・・

テリヤキ・ジャパン

日本食に飢えていたわけではなく。w
このお店、丸亀製麺がやってるレストランで、日本の外食チェーンのアフリカ進出第1号なのだ。
以前ガイアの夜明けだかカンブリア宮殿だか何かで見たことがあり、気になっていた。

13時半過ぎに入るとお店はまぁまぁ混んでいて、ほとんどがケニアの方。欧米人の姿もある。
照り焼きチキン&焼うどん(570Ksh)を注文。
日本人にとって照り焼きソースは少し甘すぎるように思えたけれど、悪くはない。
スパイシーな焼うどんはなかなかおいしかった。

 

そしてまたブラブラして、「高い」と言いながらもJAVA HOUSEへ。
フラペチーノ(400Ksh)をテイクアウトして宿へ戻ったのだった。

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宿でブログを更新して、他の日本人と話して時間をつぶす。
宿のオヤジが
「夜遅い出発なんだから。部屋使ってもいいよ。休んだ方がいいんじゃないか?」
と言ってくれたけれどお断りして共有スペースでのんびりした。

ルールってなんだろね。歳から学ぶことってなんだろう

前日から宿の日本人が一気に増え、大学生に交じり50前後のオジさんが1人いた。
そのオジさんに
「これからみんなで飲むけど、一緒にどう?」
と誘われるも
「私今夜出発なんで、遠慮しときます。っていうかここ、アルコール禁止じゃなかったでしたっけ?」

泊まっていた宿には「アルコール禁止」というルールがあり、共有スペースに張り紙もあったのだ。

「大丈夫だよー。昨日も飲んだし。
ムスリムの人もいるからってことだろうし。目に触れないように部屋で飲めば大丈夫だって!」

そういうもんなのかな?
宿のオーナーに確認した?
「アルコール禁止」は宿のハウスルールなんだし、飲みたいんだったら他に泊まればいいだけ。
ムスリムがいるから目に触れないところで、騒ぐバカがいるから騒がなければ・・・
そういうもんじゃないと私は思うのだけれど。

そして年上のあなたが「飲んでも大丈夫、飲もう!」って言ったら若い子たちが「飲みましょう」って着いてくるのは至極当たり前の話だよ。
率先してルールを破り先導するのは、大人のやることじゃ、その歳のあなたがやることじゃないでしょう・・・

結局みんなジンだかウォッカだかを買いに行って屋上で飲んでたけれど、私は参加せずに共有スペースで1人パソコンに向かった。

 

しばらくして大学生が1人降りてきて、
「いやー話が自慢ばっかりだし長いしウザいっす。」
とボソッと言ったので、笑って
「そんなの今更じゃない?一目見てわかるでしょ~。w」
と言うと
「マジすか??」
「だから私は最初からほとんど関わらないようにしてるじゃん。」
そう、最初からあんまり良い印象がなかったんだよね。それで関わることを拒否するのは良くないことでチャンスを逃すことだとはわかってるけど・・・
「俺明日から一緒なんすよー」
と言うので
「でもさ、どんな人でも自分より年上の人は何かしらの経験があって学ぶことはあるものだから。」

そう言いながら、若い子が私から学ぶことはあるだろうかと考え不安になった。

35歳。私はもう若い子が私から学べるような人間でなければいけないのだろうけれど・・・いい歳してフラフラ生きてるので、全く自信がない。w
自己研鑽に励み、ちゃんとした人にならなくちゃ・・・

悲しくなったタクシードライバーのおじさん

SIMも買ったしUberも使えたのだけれど、Uberは宿の前まで入ってきてくれない(渋滞に巻き込まれたくないから)し、荷物を背負って深夜のダウンタウンを1人歩くのは避けたく・・・
宿でタクシーの手配をお願いした。お値段1700Ksh。
空港のタクシーカウンターが20USDだったので、若干安い。

夜遅くやってきたピーターというオヤジは服もサンダルもボロボロで、彼の車もボロボロで、でも明るく親切な奴で・・・
なんだかものすごく悲しくなってしまった。

「タクシー代は既に貰ってる(宿経由で)。けど空港の駐車場代を払ってくれないか?」
「要らないTシャツがあったらくれないか?」
そう言われて、またまた悲しくなった。
「チップくれ」と言わないあたりにまた切なさを感じた。

荷物はパッキング済だしTシャツは取り出せないうえ、まだまだ旅を続ける私はあげられない。
だから駐車場代としてチップを渡した。
もうケニアシリングは使わないし。

ピーターは自分が知ってる日本語を一生懸命話してくれて、別れ際に握手をして笑顔で
「キヲツケテ、サヨナラ~、マタネ!!」って。
ピーターの高い声はますます私を悲しくして、笑顔でマタネって言いながら泣きそうになった。

 

ボロボロの服も靴も、全てはピーターの作戦だったのかもしれないけれど。w
私は騙されてるのかもしれないけれど。w

いいよ、それでも。
私が渡した心ばかりのチップで、ピーターがいつもより美味しいご飯を食べて一時だけでも幸せを感じてくれてたら私は嬉しい。

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ケニアのM-Pesaから日本の未来を考える

いつだったか日本のメガバンクの頭取が「私たちはケニアから学ばなければ」と発言し、周りは「なんでケニア?日本の方が先進国なのに・・・」とビックリしたというニュースを見たことがある。
要はフィンテックのお話で、その頭取の話は「この先は従来の銀行業務だけでは生き残れず新しい銀行業務を考えていかなきゃ」という話だったと記憶している。

それを見たときはじめてケニアに「M-Pesa」というものがあると知り、興味を持った。

Mペサ(M-Pesa)は、ケニアの通信会社Safaricom(英語版)と、南アフリカ共和国のボーダコムによる、携帯電話を利用した非接触型決済、送金、マイクロファイナンスなどを提供するサービス。
2007年4月にケニアの学生によりソフトウェアの開発が開始され、その後Safaricomが携帯電話を使用した新しい決済サービスおよび送金サービスを開始した。
ユーザーは正規M-Pesa取次店にアカウントを開いてお金をデポジットとして預け、携帯電話のSMSを利用してメッセージとして送金することができる。送金を受けた側は、 Safaricom取次店でお金を受け取ることができる。サービスの料金は、他の送金サービスに比べ安く、少額を頻繁に送金できる料金設定になっている。

Wikipediaより

日本の様にインフラが整い、また総中流社会で(過去形?)、皆が同じように暮らしている国では皆が当たり前に銀行に口座を持っているし、一昔前は当たり前に家に固定電話があった。
インフラが整っていない国では固定電話より先に携帯電話が普及したので、今でもアジアやアフリカ、中南米では固定電話はなくとも皆携帯電話を持っている。設備投資として考えれば電話線を各家庭へ引くより基地局を立てて携帯電話を使う方が楽だもんね。

そしてケニアの場合、貧困層や地方の集落に暮らしている人は銀行口座を持っておらず、地方から出稼ぎに出ても家へ送金するのが大変だってけれど、銀行を介さず携帯のSMS(ショートメッセージ。つまりガラケーでもOK)でお金のやり取りができるこの「M-Pesa」というシステムが開発されて以降は手軽にお金の授受ができるようになり、今やお店や公共料金の支払いも給与の支払いもM-Pesaで行うことができ、M-pesaでの取引額は今やGDPの50%にもなるという。

 

さてそのM-Pesaだけれど、実際にケニアに行ったらどこでも当たり前にあるもので、あまりの普及率にビックリした。それこそマサイの集落の見学料さえM-Pesaで払えると聞いたので唖然とするくらいだった。

世の中は「いつでも」「誰でも」「どこでも」を目指してるわけで、このM-Pesaはそれを実現してるし、それこそ日本の電子マネーよりネットバンキングより先に進んでる。
「ケニアに見習わねば」のセリフも頷けた。

 

私は日本に生まれて良かったと思うし、日本が大好きだけれど、一方で日本の嫌なところや至らないところもいっぱい知ってるし、こうして頻繁に海外に行って比較するからこそ余計に気が付く。
「Japan is No.1」だった時代もあったかもしれないけれど、今となっては過去の話。

「日本はすごい」部分も確かにあるけれど、全てにおいてすごいわけでも優れているわけでもない。
ケニアや、ケニア以外の国、それこそいわゆる後進国にだって日本より優れている部分は沢山ある。

私たちはくだらないプライドや思い込みを捨て、奢らず、彼らから学ぶべきなんじゃないだろうか。

ケニアで思うこと

凶悪都市、ナイロビ。
言われるほどの危険性は感じず、身の危険を感じたことは結局一度もなかった。

当たり前だけどその危険なナイロビにも、そして巨大なキベラスラムにも、人々の日常の生活があり、寝て、起きて、働いて、人と話して、ご飯を食べて・・・という日本と変わらない日常があった。
日常の生活だからこそ、私の「旅をして」、「危ないと身構え」、「写真を撮り」、「見に行く」という行為は、失礼なんじゃないかと思ったりして、気が引けた。

 

ナイロビのタウンで食事をすると、普通に1000円弱のランチ代がかかり、コーヒーだって1杯400円。東京でご飯を食べてコーヒーを飲むのと変わらない値段。
それはつまり、タウンで働いているケニアの人達はそれを払えるくらいの収入があるということ。
一方ですぐ近くにはスラムがあり、スラムで暮らす子供たちは学校に通うことすら大変で・・・。1000円のランチなんてとんでもない値段で・・・
この国の「貧富の差」に頭は混乱するばかり。

お金持ちは、良い教育を受けられ、留学し、コネを活かし、またお金持ちになれる。すぐそばにいる貧乏人のようになることを恐れ、自らの位置やお金を守ることに必死になる。
貧乏人は生まれながらの格差と頑張っても這い上がれない現実に諦めと怒りを感じ、不満を抱える。自分の境遇は自分のせいじゃないと考え・・・一部は諦め、一部は犯罪に走る。そして治安は悪化する・・・

至極当たり前の話だ。みんながみんな素晴らしい倫理観を持ち合わせてるわけじゃない。

犯罪に走るより飢え死にを選ぶ人間がどれだけいるだろう。
お金を持ってる人間から少しくらい取ったってと思わず死ねる人間がどれだけいるだろう。

ナイロビの治安が悪いのは、当たり前の話だ。

 

でも。
私たちも他人事だと思ってはいけない。
日本人、ケニア人、白人、黄色人種、黒人以前にみんな地球人だから。キベラスラムはじめ世界の貧困地域を救う方法を考えたい。

それに日本だっていつナイロビのようになったっておかしくないんだから。
ケニアの、M-Pesaのような先進的なシステムからも格差と貧困からも・・・学んで活かさなければ。

 

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