Kenya 4 : キベラスラムツアーに参加、ウォッカで酔っ払た頭で考える。

キベラスラムって?

キベラ

キベラ(Kibera)は、ナイロビ(ケニア)に位置する、ソウェトに次ぐアフリカ2番目に規模を持つスラム。
名前は、kibra(ヌビア語:森、ジャングル)に因む。

Wikipediaより

(後述のジョセフによると、現在南アフリカのスラムはなくなり世界で一番大きなスラムはインド、2番目がキベラとのこと。)

キベラの歴史は古く、イギリス統治時代に遡るという。

 

ルワンダの虐殺、キベラスラム、ナイロビの治安、南アフリカの治安・・・結局アフリカの貧困と危険はかつての植民地政策に大きな原因があると思うのだけれど、アフリカを旅している元宗主国の旅人たちは何を想い何を考えて旅をしているのだろう。

私は台湾へ行くときはいつも申し訳なさや心の痛みを感じるのだけれど・・・

 

 

キベラ出身のジョセフと共にキベラを歩く。キベラの中の生活

キベラスラム・ツアー:1600Ksh (New kenya Lodgeで申し込み)

前日マサイマラから帰ってきた後、宿でキベラツアーに申し込んだ。

当日は朝9時前に宿にガイドの「ジョセフ」が迎えにやってきた。
ジョセフはラスタマンのようなビジュアルの32歳、キベラで生まれ育ってきた人。

ジョセフと共にナイロビのダウンタウンを歩いてヒルトン前からバスに乗車し、渋滞に巻き込まれながら30分くらいでキベラに到着した。

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ジョセフと一緒にスラムを歩く。
現在、500万人くらいの人が住むと言われるキベラ。高台に建つと、どこまでもバラックが続く様子が見えた。ここで生まれ育った人も、他から来た人もいる・・・
スラム=危険というイメージがあるけれど・・・あくまで私の体感実感としては、危険は感じず、それこそ宿の周りのダウンタウンの方が危険に感じるくらいだった。

 

キベラの中の通り沿いには、電気屋や肉屋、魚屋、雑貨屋、野菜や果物の屋台、パン屋、洋服屋、仕立て屋、美容院などなど、普通の場所と何ら変わりないお店があり、「キベラの中で生活が成り立つ」ことが見て取れた。

歩いて中へ進むと、ゴミだらけ・・・・ゴミが多ければハエも多く、ニオイもひどい。
広大なキベラの中には10を超える集落があり、下水はないけれど電気や水道は通っていた。
ジョセフの後を追いながら、足元に気を付けながら歩くのが大変。
上り下りの連続なうえ、滑るし汚い・・・・
ところどころ排水が流れる川があり、また少し大きな川もあったけれど、どぶ川。異臭を放っていた。

そんな中でも食事を作る様子や洗濯をしてる「生活」がそこにはあった。
そしてそこで暮らす人々の表情は、私の目には「悲惨」とか「凄惨」「悲劇」のようには見えず、明るい笑顔が沢山ある。
すれ違いざまに皆が「こんにちは」「元気?」と声を掛けてくれる。
子供たちは笑顔で「How are you? How are you?」と一生懸命声を掛けてくれた。「Money」「Biscuits」と言う子はいなかった。
なんだろう・・・この違い。

ジョセフが語るケニアの問題点と未来への希望。そして日本の未来

「政府は道を作ってこのスラムの一部を壊そうとしてるけれど、そんなことをしてもダメなんだ。スラムはなくならないし、人は他(キベラの中の他の集落)へ移動するだけだ。ただでさえ過密状態なのに、ますますひどくなるだけだ。」
どこの国も、お国のやることはピントがずれているんだね・・・・。
でも、どうしたらスラムが無くなるんだろうと一人考えてみたけれど答えは見つからない。

 

スラムの中には学校もある。塀で囲われた大きな学校と、スラムの中の小さな寺子屋。

「学校へ行けるのは、お金がある家だけだ」とジョセフ。
「学費は月に1800円(不確かです。すみません)、貧しい人にとっては出せる金額じゃない」
「奨学金とか、なにか公的な制度は無いの?」と聞くと「ケニアにも奨学金の制度はあるけれど、それはお金持ちの子の為のもので、スラムに暮らす子たちには関係がない」

そうか・・・・。

 

スラムの中でサッカーのパブリックビューイング(?)が行われている様子があったので、「ケニアで一番人気があるスポーツは?」と聞くと「マラソン、サッカー、ラグビー」。
つい先日もケニア人のマラソン選手が世界記録を更新したけれど、やはり全国的に人気なスポーツなんだね~

ジョセフが続ける。
「でもスポーツも、お金がある人達しかできない。結局、政治に問題があるんだ。ケニアの政治家は海外で生活して海外で勉強してケニアに帰ってきてそれで政治家になってる。だからこの国に本当に必要なシステムが何もわかってない。
仕事だって足らないから、ナイロビには何もしないで歩いてる人座ってる人が沢山いるでしょ?仕事にあり就けるのは、コネがある人達だけ。お金持ちに生まれれば、教育も受けられコネもあり仕事に就けて・・・それがない人たちは、抜け出せない。
そして貧乏人も高い税金を払わされてる。みんな何の税金で何に使われてるのかもわからずに払ってる・・・。

でも希望はあるんだ。今、子供たちは一生懸命勉強してる。ケニアで生まれ育ってケニアの現実を見てる子供たちが大人になり、政治家になり、国を変えていってくれたら・・・それが希望だ。
その頃には僕はもういないだろうけどね。w」

お金持ちの子はお金持ちになり、貧乏人の子は貧乏人。

この悲しい現実はどこの国でも同じ。
「日本には貧困はない」とか「日本で飢えてる人はいない」なんていう人がいるけれど決してそんなことはなく、ケニアの比ではないけれど、日本だって同じだ・・・。
というかこのままでは、いつか遠くない将来、日本もナイロビのようになるんじゃないだろうか・・・

 

子供は未来への希望。
だから私たち大人は、子供の未来を考えて社会を作っていかなくてはいけない。老い先短い年寄りが自分の老後のことを考えて社会を作ってはいけない。

子供は社会全体の宝物。
社会の宝物だからこそ子供は社会全体で育てるもの。だから周りの人達は子育てに寛容にならなくてはいけないし、一方で親は自分の子供は自分の持ち物だと思わず社会全体に育てられてると自覚し、例えば他人から怒られることだって受け入れなくては。

 

私は子供がいないから身勝手に好き勝手言えるけれど、一方で子供がいないからこそ一歩引いて、それこそ感情的にならずに見られたらいいなと思ってる。

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ジョセフの家でランチ、そして図らずもウォッカで酔っぱらう

キベラを歩いた後、ジョセフの家というか拠点へお邪魔した。

スラムの中にあるそこは門を入ると小さな庭があり日当たりもよく静かで・・・スラムの中にいるということを忘れさせてくれる場所だった。
庭も家も清潔に保たれていて、リビングのソファに座りジョセフの女友達「フェイス」と話をした。

ジョセフは「Kings of Kibera」という団体を立ち上げており、貧しい子供たちを支援している。その家では10人の子供たちが暮らしており、その他にも2軒家があるとのことだった。

 

「ご飯食べて行きなよ!時間はあるんでしょ?」
フェイスにお誘い頂き、料理が進んでいく様子を見ていた。ウガリを作る様子も観察。
「ウガリは腹持ちが良いんだ。ご飯よりパンより。ウガリじゃないとお腹空いちゃうし元気が出ない」

確かにウガリ、腹持ちが良い。それは体感としてもわかる。

出来上がったチキンのトマト煮込みとウガリ、アボカドを囲み3人でランチ。
ケニアで食べた一番美味しい「ケニア料理」だった。

 

食後、「後から合流するから」というジョセフと別れ、フェイスとキベラ外へとのんびり歩いた。
「私はキベラの人間じゃないから・・・今でも怖いこともあるし、虫に刺されて帰るとママに怒られる」と笑うフェイス。
ケニアの人にとってもそういう場所なんだね。

ビリヤード台のある屋外の飲み屋?でフェイスやジョセフの友達と会い、みんなでビールを飲みながらビリヤードをした。
昼からビール。風が涼しく温かい空気。
なんだか幸せだけれど、すぐ近くにはスラムが広がってるわけで・・・不思議だなぁと思う。

 

ビールはウォッカに変わり、みんなでウォッカ。ここで酔っぱらうわけにいかないので、断りながら気を付けつつ・・・

「泊まっていけばいいじゃない!!うちにおいでよ!!」とフェイス。
明日出発だし準備もあるし、そういうわけには・・・・

ジョセフのセリフに複雑な気分になった瞬間

4時過ぎ、ジョセフはチャットを噛みながらやってきた。
みんなで話しながら、猫と遊びながら・・・

私の視線の先に、子供がいるのに気が付いた誰かが、「あれはエチオピア人だよ」と言った。
言われてみればベランダにエチオピア航空のブランケットが干してある。

「すごく迷惑なんだ。さっさと国に帰ってほしい」
ジョセフがすごく迷惑そうな顔をして言った。
そして皆もそれに続き、口々にエチオピアの人の悪口を言う・・・・。

エチオピア人は、ケニアで税金を払ってないのかもしれない。ケニアで暮らすケニア人より負担がないのかもしれない。
けれど、差別を受けてきた人間から聞く差別的?排他的?な発言は、決して気分の良いものではなく・・・私はアルバミンチのガイドを思い出した。

一方で、苦しい思いをしてるからこそ「ズル」が許せない気持ちを慮り、苦しくもなった。

 

ジョセフとフェイスにバス乗り場まで送ってもらい、バスで宿へ戻った。すでに暗くなったナイロビの街を酔っぱらって歩くのは怖かった。w

 

「皆が幸せに暮らす方法ってないのかな。」
いつもそれを考えるのだけれど、私の頭では答えは出せない。

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やっていいことと悪いこと、そして施しとは

宿に帰ると、大学生の男の子が「キベラどうでしたー?」と聞くので
「楽しかったよ。でも正直、思ったほど悲惨な感じはなかったかな。フィリピンのスラムの方が悲惨に見える」
と言うと、
「僕たちも今日、キベラ行ったんすよー。自力で。」

なんだかなぁ・・・。
「お金を使わないこと」や「安く旅をすること」が勲章だと思ってるのだとしたら、それは間違いだと私は思う。
特にキベラは、然るべきところ(人)にお金を使うことで支援になるのだから。
度胸試しのように自分で行って見て写真を撮って、自力で行ったとアピールしても、それは素敵なことではないんじゃないだろうか。
勲章でもなく、誇ることでもないのではではなかろうか。

若い子にはわからないことかなぁ・・・・

 

おまけにキベラは体感として危険は感じなかったけれど、それでも安全な場所ではない。麻薬も銃もある場所で、スマホ一つの為に人が殺されうる場所だと聞く。
怖いとか恐れてるとかではなく、そういう場所へ自分達だけで行くのは違うと思うんだよね。

でも若いというのは・・・そういうものなのかなぁ・・・

 

そして、その大学生が、
「お金なくなったし、中東へ行って乞食をして旅の資金を稼ぐ」ということを言っていて、私はドン引きした。

それは本当にお金に困ってる乞食の人々にも、他の旅人にもものすごく失礼な行為だと思う。

お金がなく、仕事もなく、ご飯も食べられず、もう本当にどうしようもなくどうしようもできないからの乞食だから。
旅の資金を稼ぎたい人間がそういう人たちと同じ土俵に並ぶのは、彼らに失礼だ。

そして旅なんて、そもそも金持ちの道楽だ。
お金がある人間が余暇で楽しむもの。
私たちは人さまが働いたり勉強してる時間に、働かず勉強せず自分の楽しみの為に旅をしているわけで、その資金を乞食で稼ぐなんて言語道断だと思う。
乞食をしてお金を得てまで「世界一周をした」と言いたいという感覚はおかしいと思ってしまうし、「世界一周」というタグは、そこまで魅力ある勲章なのかな?
乞食をしてお金を得て世界一周をしたって胸を張って言える?
自分の心は痛まない?

だったら日本へ帰ればいい。
日本へ帰ってまたバイトして、そしてまた旅をすればいいだけ。

 

また、海外で旅の資金の為の乞食・・・「日本」に泥を塗る行為だと思う。
今、私たちは、旅の先人たちが礼儀正しくお行儀よく旅をしてきてくれたおかげで色々な人に「日本人は好きだ」と言ってもらえ、親切に、良くしてもらえる。
(だから次に旅をする人の為にも、自分の行動には気を付けたい。)
それが、何処に行っても「日本人は最低だ」「出ていけ」って言われたらどう思う??
海外で旅の資金の為に乞食をするというのはそういう行為だと思うのだけれど・・・

私の頭が固いのかなぁ。

 

お金や貧困、政府や政策、倫理観についてあれこれと考えた一日だった。
頭の悪い私には、解決策はわからないし、ツアーという形で「見に行く」のがいいことなのかもわからないけれど。
それでも考えるきっかけにはなったし、これを読んだ方が少しでも何か考えてくれれば幸いです。

ちなみにジョセフの「Kings of Kibera」は以下よりどうぞ

 

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