Ethiopia 13 : Mission in Ethiopia、そしてエチオピアで思うこと

アルバミンチからアディスアベバに戻った私には、最後にどうしてもやらなければならないことが残っていた・・・

既に消化してる分もありますがお付き合いください。

世界一過酷なツアーに参加したい

一部では、世界一過酷だと言われている「ダナキル ツアー」。
参加してみて・・・・世界一は言い過ぎな気がしたけれど、過酷ではあったと思う。8月の今、45℃を超える気温は厳しいものがあった。

過ぎて見れば全ては良い経験で、熱風吹く中で外で寝たのも笑い話。楽しかったーー!!

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民族の方々にお会いしたい

オモバレーで色々な方々にお会いしてきた。時間に余裕があれば、もっと見て回りたかった!

最初はビックリしたけれど、そのうち慣れるもので・・・食堂や居酒屋で、上半身裸の方がビールを飲んでても、街中を歩いていても、なんとも思わなくなってました・・・・

髪をエチオピアスタイルにしたい

既に書いている通り、トゥルミ(Turmi)の「ヘアサロンmimi」でコーンロウにすることに成功。この髪、めちゃくちゃエチオピア人ウケが良くてビックリ!!会う人会う人みんなが褒めてくれる。

アディスでたまたま入ったファストフードのお店でも、前に並んでたお姉さんがいきなり「私、アナタの髪型大好き!」って言ってくれたり、道を歩いてれば道端でコーヒーを売ってるおばあちゃんが「シュルバ!シュルバ!!」って手を叩いて喜んでくれたり。
もう、こんな喜んでくれるなんて・・・コーンロウにして良かったと思った。

 

ちなみに後日談ではあるけれど、頭の痒さと「ガシガシ洗いたい」という欲望に負け、1週間ちょっとで取ってしまった・・・。ほどくとビックリなパーマになっており「大丈夫?元に戻せる?」と不安になったけれど、洗ったら元通り。よかったよかった。

日焼けと言い髪と言い、謎のアジア人になってたので髪をほどけば!!と思ったのだけれど、髪をほどいても「ベトナム人か?」「フィリピンか?」と聞かれるので、相変わらず謎のアジア人のままです。w

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ルーシーに会いたい

アルバミンチからアディスに戻ったその日は、流石にぐったりで遠出はせず近所に出かけるのみで終わり。
そして翌日、ついにルーシーに会いに行ってきた。

Lucy。320万年前に生きていた人類の祖先。
私の、あなたの、地球に住んでる全ての人の、ひいひいひいひい・・・・ひいおばあちゃん。

ルーシー (Lucy) は、1974年11月24日にエチオピア北東部ハダール村付近で発見された318万年前の化石人骨につけられた名前である。アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)の中で最初期に発見されたもののひとつであり、全身の約40%にあたる骨がまとまって見つかったという資料上の貴重さから、広く知られている。

Wikipediaより

トラムに乗って終点まで行き、そこからのんびり歩いて国立博物館へ。入館料は10B(40円)という激安っぷり。
ちゃんとお金をかけて展示すればいいのに・・・と思っちゃうくらい可哀想な博物館だったけれど・・・そのお金もないのかなぁ。

 

アディスアベバにあるLucyはレプリカだけれど。
今はルーシーでなくアルディが人類の祖先だと言われているけれど。
それでも満足した。

ちなみに「Lucy」という名前は、発掘していたときにたまたま流れていた歌がビートルズの「Lucy in the sky with Diamonds」だったからだそう。w

本物の本場のコーヒーが飲みたい!

エチオピアでいっぱいコーヒーを飲んできたけれど。
(胃の不調の為、途中から紅茶に切り替えたけれど。w)
エチオピアで一番有名な珈琲屋さんと言えば「TOMOCA」コーヒー。まぁ日本にもあるんですけど。

国立博物館へ行ったあと、雨宿りしつつ歩いて・・・念願のTOMOCAへ。観光客もいたけれど、ローカルの方が多かった。
そこで母へのお土産のコーヒーと(いつもエチオピアモカを指名買いしてるので)、店内で飲むマキアートを注文。

ガツンとくる重たさと、それでいて渋くない苦すぎない焙煎。雑味もなし。1杯16B。
店内ではバリスタのおじさんが黙々と働いていて、とても素敵だった。

 

とまぁこんな感じでエチオピアでもMissionを遂行し、エチオピアを後にした。

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エチオピア、あれこれ

エチオピアはビックリするくらい治安が良く安全で、拍子抜けしてしまった。
1人で暗い道を歩かないようにしているのはあるけれど、「怖い」とか「危ない」とか「嫌な空気」を一度も感じたことがなかった。
暴力的な雰囲気がなかった。

 

エチオピアは、このアフリカ大陸で唯一、ずっと独立国である国で、エチオピア人もそこに誇りを持っている。(一瞬だけイタリア軍がいたことはあるけれど)
自分たちの13か月あるカレンダーやエチオピア時間、アムハラ語、インジェラにもとてもとても誇りを持っていて・・・「インジェラは身体に良いんだ!!」と何度も言われたけれど、そう言われてもね・・・。日本人の私は「インジェラ、もう食べたくない」とは言い出せなかったけれど。w しばらくインジェラは食べたくない。

アムハラ語の国だけれど、どこでもビックリする位に英語が通じた。フランス語で苦労したマダガスカルから飛んだ私は、ビックリしつつホント有難かった。

エチオピア人は自分たちのことを「ブラックでなくチョコレートだ」と言う。確かに彼らはブラックではなくチョコレートだと思ったことが何度もあった。
そしてそのチョコレート色のお肌も、なんだか素敵な色に見えた。

けれど毎日毎日「ファランジ」と言われ続け、肌の色って何なんだろうって思うようになってきた。
私はイエローで、有色人種なわけだけれど。それでも彼らからしたら白い「ファランジ」。そしてファランジはお金を持ってて、お金を取っていい対象なんだ。
からかって、笑っていい対象なんだ。
目の色、髪の色、肌の色。地球上には色々な人がいるけれど。そんなのあくまで見せかけでしかないのに・・・。
今までアレコレ旅をしてきたけれど、肌の色で気持ちが重くなったのは、今回が初めてかもしれない。

 

エチオピアはいい人もいっぱいいたけれど、ウザい奴もいっぱいいて、ちょっとインドの香りがする部分もあったりして。
今すぐには行く気にはなれないけれど、時間がたったらまた行きたくなるような気がしてる。
「エチオピア、もういいわ」「しばらくは遠慮願いたい」という気持ちが今はわかる。

 

そして。
エチオピアは人と人の距離が近く、黙ってバスに乗る、黙ってコーヒーを飲むなんてありえない!という世界で、105歳のおばあちゃんがコーヒー屋さんの片隅に座ってみんなに見守られてる姿を見たり、ラリベラの教会でもフラフラした老人たちを周りが手助けしてるのを見て、「この国では孤独死なんてありえない」と思った。
他人と一言も話さず生活ができてしまう日本が、むしろおかしいんじゃないかな。

バスで隣り合った人や喫茶店で一緒になった人、買い物や食事をしたお店の人と話すことって面倒なことだっけ?

人と関わることって、煩わしいことだっけ?

 

私たち日本人は、どんな世界(社会)を求め、目指しているのだろう。

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