Cuba 4 : 前略、ゲバラ様。

本日は11/14、現在地は・・・・東京です。
日本に帰ってきてしまいました。

今回も事件事故なく無事に帰ってこられて何よりですが、帰って来たくなかった・・・
でも「帰りたくない」と思いながら帰る位がちょうどいいのかもしれないと自分に言い聞かせてます。

ブログは続けて行きますし旅の話も完結させますので、今後ともよろしくお願いいたします。

前略、ゲバラ様

ミーハーだと言われたっていい。
やっぱりゲバラに惹かれるしカッコいいと思ってしまう。

 

ゲバラについて本を読んだり調べたりしたのは、大学生の頃。
だモーターサイクルダイアリーズも読んだし、だから南米に行ったときバルパライソやカラマの鉱山も行った。

「キューバに行きたい」
「ゲバラに会いたい」

ずっとそう思い続けて・・・やっとその想いが叶う瞬間がやってきた。
出来ることならカストロさんがご存命中に行きたかったけれど、それはもう仕方ない。

 

朝8時、アイリスさんのお母さんが作ってくれた朝食を食べ、カピトリオから可愛らしいトゥクトゥクに乗って(5CUC)革命広場へ。

 

やっと、ついに。

カストロさん!!
ゲバラ!!!

 

広い広い広場からみえるお二人と、背後にはホセ・マルティの博物館。
すごくすごく素敵なのだけれど・・・

なんと広場は工事中、立ち入り禁止。涙
ホセマルティ博物館&タワーも立ち入り禁止・・・

残念すぎる。

 

それでも今日もハバナは晴天で。
青い空に白い雲、緑の木々が場を更に引き立て、私の感動をさらに盛り上げてくれた。
工事中だなんて気にならなかった。

ところで、このお3方って・・・・?

ゲバラ、カストロ、ホセマルティ

どうやって書こうか、あれこれ考えてみたのだけれど・・・・私には書けない。
そう前置きをした上で・・・

エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(Ernesto Guevara de la Serna)

キューバ革命で有名なゲバラだけれど、ゲバラ自身はアルゼンチン人で医学部卒。
ゲバラに関してはWikipediaをどうぞ

この中にも書いてあるけれど、ゲバラは日本にも来ている。
広島の原爆資料館を訪れ、「アメリカにこんな目に遭わされておきながら、あなたたちはなおアメリカの言いなりになるのか」と語ったとのこと。

私はゲバラをカッコいいと思うしファンだけれど(ファンという言い方もおかしいけれど)一方、ゲリラ戦という武力で解決しようというのはちょっと違うんじゃないかと思ったりする。(他に方法がなかったんだろうとは思うけれど)。
賛否両論あるのもわかる。

でもこの言葉は・・・・その通りだよ。
なんでいつも日本はアメリカの言いなりになってるんだろう。アメリカ寄りの教育を受け洗脳されてるんだろう。なんでみんなアメリカ大好きなんだろう・・・

 

ちなみに、「ゲバラ」というといつも出てくるこの写真。

この写真は、キューバ出身のカメラマン、アルベルト・コルダさんという方が撮った写真とのこと。
コルダは

  • チェ・ゲバラのことを語り継ぐ目的
  •  世界平和のための活動に使用する場合

であれば複製の制作に反対しない、つまり著作権を放棄すると発表したそうで、だからこの写真がどこにでも使われているんだとか。

いや~素敵!!

Advertisement

フィデル・カストロ(Fidel Castro)

カストロ議長はキューバ生まれのキューバ人で弁護士。
ゲバラと共にバチスタ政権を倒しキューバ革命を成し遂げ、首相に就任した。
Wikipediaはこちら

カストロ議長がすごいな、と思うのは、他の社会主義国や一党独裁国家の長は往々にして権力とお金を自分の元へ集中させるのにもかかわらず、彼はそうしなかったこと。
革命後に土地の国有化、農地の国有化をした時、実家の農地も漏れずに国有化し母親から絶縁されてるらしい。
また、(以下Wikipediaより抜粋)“自分が美化されることに神経質で独裁国家によくある公共の場における指導者賛美のプロパガンダがキューバには一切存在しない。自分がTシャツのプリントや絵画に描かれることを嫌っている。また、キューバでは特定の政治指導者が偶像化するのを避けるため、存命中の人物のモニュメントを公共の場所に飾ることを法律で禁じている。よって、既に死亡したゲバラを讃えるモニュメントはあっても、生前のフィデル自身も含め、存命中の人物のモニュメントは存在しない。”

 

他の国と、全然違う。
カストロ議長に対しても賛否両論あるし、実際に沢山の方がキューバからアメリカへ亡命してるけれど。それでもこの潔さはカッコいいよ。

ホセ・フリアン・マルティ・ペレス(José Julián Martí Pérez)

ホセ・マルティは19世紀後半のキューバ独立革命に参加し、キューバ史における英雄としてだけでなくラテンアメリカにおけるモデルニスモの先駆者としても名高い。
活発な独立思想家であり、その思想のために各地を転転とする生活を余儀なくされた。第二次キューバ独立戦争でスペイン軍と戦闘中に被弾し亡くなった。
Wikipediaはこちら

“マルティはアメリカ合衆国がラテンアメリカの独立運動に干渉することを非常に嫌っていた。マルティは米国に滞在中、米国政界のキューバに対する姿勢に幻滅し、以後米国のラテンアメリカに対する干渉に強固に反対するようになった。マルティは生前に著作「我等のアメリカ」(1891)の中で米国のラテンアメリカに於ける覇権拡大を強く懸念しているが、実際に彼の懸念は独立後のキューバに於ける米国の実質的な支配、20世紀を通してのラテンアメリカに於ける米国の影響力の拡大という形で現実となる。”

Advertisement

アメリカって・・・なんなんだろう。
私はアメリカが嫌いなのだけれど、こうして読んでいくとますます嫌いになっていく。
アメリカの正義は世界の正義じゃない。アメリカがいつも正しいわけじゃない。
それでも、こういう現実があり、さらに2度の原爆を落とされてなお「アメリカ大好き」な日本ってなんなんだろう。
どうしてみんな不思議に思ったり反駁しないんだろう。
そう教育され洗脳されてるから?

キューバ旧市街を歩く

革命広場で、ゲバラとカストロ議長とホセ・マルティに会った後、キューバの歴史、スペイン植民地、そしてその後のアメリカによる搾取なんてことを考えながら旧市街までブラブラ歩いて戻った。

旧市街の魅力的な街と雰囲気は、スペインの植民地だったからの街並みで、アメリカから経済制裁を受けてたからクラシックカーがあるわけで・・・
いろんなことが頭の中をぐるぐる。

グルグル考え事をしながらも、やっぱりキューバはとても美しくて。人々が穏やかに暮らしてる様はとても素敵で。「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」を思い出しながら歩いた。

 

チョコレートミュージアムでチョコシェイクを飲んで、カテドラルを見て、要塞を見て・・・。

そしてカバーニャ要塞とモロ要塞へ行き、反対側からキューバ旧市街を眺めた。
文句なしに美しかった。

Advertisement

旧市街でキューバ生まれのカクテル「モヒート」を飲み、アイリスさんの家の近くで12CUP(約50円)のピザを買って家へ帰ると、お母さんが「お帰り!!」と、冷たいグアバジュースを出してくれた。
作りたてのグアバジュースは、冷たくて甘くて、美味しかった。

 

キューバの一般家庭は、どこも物が少ない。
貧しいから。みんなそういう生活をしてるから。

でも、とても居心地がいい。

 

3人がいなかったら、キューバが社会主義国じゃなかったら、アメリカから経済制裁を受けなかったら・・・今より豊かだったのかな?貧しくはなかったのかな?

私には、わからない。

 

前略、ゲバラ様。

今のキューバは、あなたが目指したものですか?
今の世界は、あなたが夢見たものですか?

 

ブログランキング参加中!ご協力よろしくお願い致します。

ブログランキング・にほんブログ村へ