10年で変わったこと(ヒトビト)

以前も書きましたが(コチラです)、10年で変わったなぁと思うことの続き。

バックパッカーは高学歴?


以前もチラッと書いたけれど、昔は会う人会う人みんな高学歴で、私なんぞ恐縮してしまうような人が多かった。東大、京大、一橋大、慶応・・・
もちろん、学歴があれば必ずしも言葉が話せたり知識があるわけではない。好奇心や向学心があるから自ら進んで勉強したり、外に向いた意識があるから・・・旅に出る。だから結果的に高学歴になりがちだということなのかなと思う。
当時、みんなそれなりに最低限の英語は話していたし、地理や歴史、宗教、世界情勢などなどの知識があって、きっかけがあればみんなで議論をしたりして、それがまた刺激的で楽しかった。日本の援助で作られたもの、導入された設備などを見ながら日本のODAの問題点などを挙げてみたり、海外援助のありかたを話したり。
私が知らないことが話に出ることも沢山あったし勉強になることも多く、色んな人に会い話をする度、自分が成長出来て、一方で自分の不勉強さを実感し、刺激になった。

今は・・・高学歴な人間もいるいる一方で、そうでない人も増えたなーと思った。
そして「傾向として」と前置きをした上で書くけれど、非高学歴な人の中には心配になるくらい英語が話せない人もいたし、「世界一周してます」という言葉に酔いしれ、そのセリフの為だけに旅をしている人もいた。まるで「世界一周」という“タグ”がステータスであるかのように。
歴史オンチの私すら「え?」とビックリしてしまうくらいに歴史や史実を知らず、世界のことも知らず、ただ“インスタ映え”の写真を撮るだけの人もいた。「ODAって何ですか?」という人すらいた。
現地の食事を食べるより、ただひたすら「普段の日本と同じ」食事を求めている人もいた。世界のどこに行ってもマクドナルドを探していた。

旅の仕方も目的もそれぞれだし、人の価値観は様々だから、自分が良ければそれでいいのだと思う一方で、寂しさ、もの哀しさを感じずにはいられなかった。せっかくの機会なのにと思い、個人的には残念で仕方ない。
全くその国を知らず、知ろうと努力もせず、ただ土足でズカズカと入り写真だけ撮って「いいね!」に満足する・・・
なんだか失礼に思えてしまうのは、私がおばちゃんになったからなのかな。

休学組は極少数だった昔

今「大学を休学して世界一周してます」、「休学して海外インターンに参加してます」という若者がすごく増えたなと思う。
若者が海外に行くことはとても良いことだと思ってる。日本の小さな世界の中で大人になり、その小さな世界のある意味特殊な価値観だけで、それに染まって生きていくより、一度外に出てほかの価値観に触れて刺激を受け、良いところも悪いところも見て、考えて。更に外から日本を眺めることで日本の良いところを再発見し、問題点に気がついてくれたらいいなと思うから。そしていずれは日本を良い方向へ変えていけたら・・・そうなったら素晴らしいと思ってるから。
私が「こういうところ、日本はおかしい。海外では・・・」と言うと、「海外かぶれが」みたいな言い方をする人もいるし、嫌な顔をする人もいるけれど、そういうことじゃないんだよといつも思う。日本のいいところは残して伸ばして、一方で他国のいいところは見習って取り入れていき、ハイブリッドな日本を目指せばいいじゃない。皆がもっと心豊かに幸せに暮らせる国を作っていけたらいいし、みんなその方がいいでしょ?

昔は夏休みや春休みを利用して旅をしている学生はいたけど、休学は少なかった。というか私自身そうだった。「休学したい」と思ったこともあったけど非現実的で断念したから。
なんで非現実的だったのか‐—-それは学費の50%を納めなくてはいけなかったから。私立の理系に通ってた私。1年休学するために学校に70万を払うって・・・無理だった。
今は休学の為に当時のように高額な費用を払う必要はなくなり、3~10万円程度になったと聞く。
ギャップイヤーの文化が無く、新卒で就職しないといけない日本社会だから(そもそもそれ自体がおかしいと思ってるけど。w)、若い子たちには是非休学を利用して欲しいと思う。いっぱい刺激を受け、自分の価値観を広げてきて欲しい。

本を読まない人が増えた


前回、旅をしている中で空いた時間の使い方は読書でなく、映画やアニメ、漫画になったという話を書いた。紙媒体というアナログではなく、データ保存というデジタルの世界。
今回は旅の最中だけでなく、普段からの読書の話。
で、今これを書き始めて気が付いたのだけれど(遅いよ。w)本を読まなくなったのってバックパッカーだけに限った話じゃなく、世の中全体の話ですね。w

バックパッカーのバイブルと言えば、沢木耕太郎の「深夜特急」。

この本は、もう何度読んだかわからないくらい読んだし、当時と今とを比較したり、同じものを見たり・・・私にとってもバイブルだったと思う。

そしてそれを上回って好きな旅行記が、素樹文生の「上海の西、デリーの東」。

今この本のタイトルをPCで打っただけでアツいものが込み上げるくらい好きな本。
他にもあれこれ旅行記は読んできたし、もちろん旅行記のみならず小説も、歴史の本も、随筆も・・・本は沢山読んできた。

でも実は打ち明けてしまうと、子供のころはあまり読書はしなかった。(その割には国語の成績はびっくりするくらい良かったので、国語の成績と読書は無関係だと思う。w)
そんな私が一気に本の虫になったのは、旅をするようになってから。その頃から昔読まなかった分を取り戻すかのように本を読んできたし、どこかに旅に出ることを決めると、その国に関わる本を読んでから旅をしていた。また旅先で誰かに出会い、本を交換したり、また読んだ旅行記の話をしたり。そして日本に帰ってから、教えてもらったまだ読んだことのないその本を読んだり。そういう楽しさがあった。

さて、今。旅先で誰かに出会っても(若い子達と世代の差があるのはしょうがないとしてw)、「深夜特急ってなんですか?」と言われたり、「あ~、本読まないんで。」という人たちがあまりに多くなったように思う。若者に限らず、同年代でもそういう反応の人は多くなった。
なんだかね。本、面白いよ?今は紙でなくタブレットやスマホでも読めるし。
その時必要な情報のみを手に入れることも勿論大事だけれど、それに付随して幅広い知識を手に入れることは、いつか必ず役に立つと思うんだ。

今、私が思うこと

前回書いたように、リコンファームは必要なくなり、LCCができ、世界のどこでもWi-Fiが使え、昔以上にインターネットが身近になり、自分のスマホがそのまま海外でも使えるようになった今、海外を旅すること、それもツアーでなくバックパッカーのような旅をすることのハードルは、昔と比べとても低くなったと思う。技術の開発は「誰でも簡単に」できるようになることを目指し行われているわけで、絵に描いた未来が確実に現実になってるのだと実感する。
一方でハードルが低くなって誰でも旅が出来るようになったことで、「信念のない旅人」が増えたな、というのが一つの実感。「面白そうだから行ってみよう」そう思ったらすぐに行ける世の中になったのだから当然かもしれない。
それでもいい。裾野が広がって、多くの人が体験する中で、何かを感じ考え、影響を受ける人が一人でも増えたらそれでもいいと思う。けど・・・現実は、なかなか。

タイミングよく、たまたまこんな記事を見掛けた。

マネーポストWEB:海外旅行先の日本人のケチさが話題に 今や中国人と韓国人が上顧客

そうそうそう!最近、こういう人たち、増えてるんだよ。もちろん値切ることは必要で大事なことだとは思ってるんだけど、ちょっと違うんだ。なんというか・・・品がない。
かつて「日本人は値切ることを知らない」と言われていたものだけれど、今は・・・。

体験談を一つ。2016年、コーカサスのジョージアでのこと。その時は日本人の男性二人(共に30代)と一緒だった。公共の交通手段がない場所に観光に行くことを宿のおばちゃんに相談すると「タクシー呼んであげるよ」とおばちゃんはタクシーに電話をしてくれた。おばちゃんの話ではタクシーは往復で25ラリとのこと。
ほどなくタクシーが到着し、タクシーに乗り込むとドライバーのオヤジは「30ラリだ。」と言う。宿のおばちゃんとタクシーのオヤジはジョージア語で何やら話しているけれど、私含め3人ともジョージア語はサッパリ。でも恐らく「え?30なの?25って言っちゃったわよー。なんとかならない?」「いや、ダメだ。昔は25だったけど今は30だ。ガソリンも値上がりしてる値引きは出来ない」というような会話をしているのだろうと私は思った。(あくまで私の妄想なので、お宅の奥さん元気?などという日常の会話をしていたのかも?w)
私は30ラリで乗ればいいと思った。おばちゃんはわざわざ電話をして(電話代をかけて)、手間をかけて私たちの為にタクシーを呼んでくれた。そしてドライバーのオヤジは電話を受け、わざわざ迎えに来てくれた。それに5ラリは日本円にして220円だ。
ところが他の2人は「25って言ったじゃん。じゃあ乗らない。」とタクシーを降りて歩いていってしまった。私は唖然としたし、おばちゃんの顔と信用を潰すなんて(大げさ?)恥ずかしいやら申し訳ないやら・・・。
(その後おばちゃんにゴメンナサイをしてから二人の後を追い、結局他のタクシーに25ラリで乗ったけれど、そのタクシーは訳あってたまたま安くしてくれただけで、通常の価格はやはり30ラリだった。)

当たり前にふっかけてくる国で値切ることは必要だけれど、ふっかけてくる国でさえ、現地の人と同じ値段で買うことを求めてはいけないと私は思ってる。現地の人の価格に少し上乗せしたぐらいの値段でいいんじゃない?と。言葉も通じないし手間をかけてるんだから、その位チップだと思えば。どこにお金が落ちてちゃんと役に立ってるかわからない日本のODAより、目の前のオヤジの家族が今晩美味しい夕食を食べられるほうが、目の前のお姉さんの赤ちゃんが新しい服を買える方が、よほど有意義なお金だと思うのだけれど。

なんだかディスってるような投稿になってしまったけれど。
すみません、そういうつもりはないです。
私も大それた人間でなく今なお勉強中で、それこそ「路の途中」にいる人間だから。

ただ言いたいのは「きっかけなんて何でもいいから、何かをきっかけに、物事を感じたり、今より考えたり、追求したりするようになろう」ってことでしょうか。
そして海外に行っても日本にいても、人として恥ずかしくない行動をして欲しいと思うのです。特に海外では、自分は日本を背負っているということを自覚して欲しい。

侍JAPANはサッカー選手だけでなく、私たちみんなだから。一人一人が日本代表なのだから。

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